京都府議会議員 わたなべ邦子ブログ

京都府議会議員(伏見区選出)わたなべ邦子の活動報告日記です。

自民党京都府議会議員団 政務調査会 管外視察二日目 宮城県。

今日は朝7時半に宿舎を出発して、仙台市若林区の自立支援ネットワーク「若林ヘルプ」代表の黒須さんや学生ボランティアの方等にご案内いただき、バスで石巻市雄勝町名振地区へ向かいました。

  
途中、悲惨に破壊され、未だ放置されている多くの家屋などに胸が痛みます。
田畑は耕作ができるよう、海水の塩分を除く必要があり、細かいガラス片なども取り除くため、表土の処理を進んでいるところなど、状況は様々でした。
   

  
多くの子どもたちが大震災・津波の犠牲となり、かけがえのない命を奪われた大川小学校跡地。ビルの上に津波によって押し上げられたバスが乗ったままの姿を拝見して、改めてその時の惨状が想像以上のものだったであろうと、本当に心がつまる想いでした。
  
どれだけ、多くの子どもたちや人々が怖い想いをされたことでしょう・・・
多くの花束、我が子への手紙などが御供えされていて、近くには色々なメッセージが書かれた車も停まっていました。みんなで手をあわせ、心から哀悼の誠を捧げました。
    

  

重機やトラックが動いておられ、木材、コンクリート、鉄骨など、種類によって分類された山があり、深い悲しみの中で、やっと少しずつ復興に向かって動き出していました。
     

 
  
ほとんど人影のない街の中で、一軒新しい看板をあげておられたお店があり、希望の光が・・・

バスは海岸線に向かい、名振地区へ。
のどかな漁村だったこの地域は、津波でほとんどのお宅が壊されてしまい、家財道具、仕事の資材、漁船など、全てのものを失ってしまわれました。

本当にたいへんだったと思いますが、日頃からきっちりと避難訓練をされたり、少し山に上がったお寺や集会所等に布団や飲料水・お米など備蓄されていて、たいへんな中にも、大震災発生後、速やかに対処することができたそうです。

先代から、地区の会長をされている方は、いつ何がおこるかわからないからと、普段からできるだけ地域を離れないようにされていて、大震災当日も住民の皆さんに高台に避難するよう指示され、ご自分は広く海が見える所で津波の様子を見ておられたそうです。
  
今は少しずつ漁業も再開され、仮設住宅で住民の皆さんが協力して暮らしておられます。
  
集会所で、今朝獲れたばかりの新鮮なイカをいただき、とても美味しかったです。
  
女性の皆さんも、自分たちも何か役にたてるよう、復興の第一歩としたいと「ミサンガ」をつくり、得た収入で、寝具・日用品・暖房機・衣類などを購入されています。ミサンガを編みこんでいる時は、無心になれ、心の安定剤のようでもあるそうです。私たちも一人10本ずつ買わせていただきました。

   
イワシも干してあり、お土産に頂戴しました。

バスが見えなくなるまで、ずっと手を振って見送っていただき、そのあと、仙台市荒浜へ。毎年、海水浴で賑わっていた浜の防波堤をはるか高く乗り越えて津波が襲ってきた地域です・・・
   

松林も多くの木が倒され、今は壊れた住宅が撤去されて、土地の所有権の関係で、土台だけ残されています。大きく丸まったような波が防波堤を越えて、地面をえぐり取るように穴が掘られたようになっています。
  
海の神様の鳥居が、奇跡的に松の木に支えられるようにして倒れず立っているのを拝見し、驚きました。
  
お話を伺った会長さんは、大震災発生当時、海岸から5キロ程離れたところで買い物をされていたそうですが、きっと大きな津波がやってくるであろうと直感し、避難場所とされていた小学校に向かい、避難されてきた皆さんを3階より上にと誘導されたそうです。
小学校は耐震工事が終わっていたのと、津波を正面でなく、側面で受ける方向であったことなどが幸いして、崩壊を免れたそうです。
しかし、黒く巨大な波が多くの家や車などをのみ込み音をたてながら街を襲い、4階建の小学校の校舎の2階まで水につかり、回りはすっかり色々な物が浮かぶ湖のようになり・・・
救助のヘリコプターが来ると、幼い子どもたち・高齢者・女性など、順番を決めて搬送してもらおうと相談され、途中、他に緊急救助の必要性があったため、全員が運びだされるまで丸1日ほどかかったそうです。

しかし、住民の皆さんに避難勧告をしながら街を回っていた消防団員の方、誘導していた警察官・薬を取りに戻った方、愛犬の鎖をはずさないとと家に戻ろうとした方、等々、一瞬のうちに津波にのみ込まれた多くの皆さんの為に、ここに慰霊碑を建てようと整地をされたとお聞きし、改めて犠牲となられた多くの御魂が安らかにいらっしゃるよう、願わずにはいられませんでした。

現在、小学校前にはバイクや農作業機などが山積み・・・
   

その後、中学校へ避難、他の避難所を経て、今は仙台市若林区仮設住宅に住んでおられる会長さんにご案内いただきました。
    

一部屋を自立支援センターとして活用されているので、その部屋を見せていただきました。ガラスサッシのドアを開けるとすぐに部屋があり、2間と奥にキッチンの、いわゆる2K。
ご家族が多い方は2部屋使ったりして、必要な方にはお弁当の注文をうけたり、地域の見守り活動なども行っておられるそうです。
  

2時半を過ぎてから、帰りの新幹線の中で遅い昼食。
東北6県の名物を盛り合わせた「元気です 東北!」弁当

本当に、本当に、元気な東北、元気な日本を、みんなで一緒につくっていきたいと思います
お世話になった皆さまに心から感謝申しあげます。