9年前の12月21日、地元の京都市立日野小学校の運動場で、当時2年生の男の子の尊い命が奪われるという痛ましい事件がおきてしまいました。
あれから9年…
明るく楽しく、みんなから『とっちゃん』と呼ばれ、愛されていたその男の子は、今も夕方一番に輝く星『とっちゃん星』として、私たちを見守り、導いてくれています。
(写真の『星』はとっちゃんの事件後、小学校にボランティアで演奏に来ていただき、子どもたちや私たちにいっぱい元気を下さった方の書で、とっちゃんのお宅に飾っていただいているものです)
私がこうして府議会議員とならせていただいた事も、きっと、とっちゃんの大きな導きによってだと確信しています。
事件以来、約一ヶ月半、犯人がわからず緊迫した日々が続く中で、警察はじめ多くの皆さまにお世話になり、地域の皆様と一緒に地域の安全は自分たちでも守ろうとパトロールに廻りました。
朝・中間休み・昼休みは学校へ行き、外で自由に遊ぶ事もあまりできず不安定な子どもたちと一緒に遊んだり、バレーボールをしたり(当時スポーツ教室でバレーボールのコーチをしていましたが、放課後練習ができなくなっていたので…)、放課後は働く保護者の方々からの要望をうけて、有志の皆さんと一緒に子どもたちを6時頃まで預かる『放課後クラブ』というものを始めました。
今から思えば、それらの事は、現在各地で取り組まれている『見守り隊』や『放課後まなび教室』などにつながっており、時代のニーズとはいえ、不思議な気持ちがします。
そしてまた、清水こういちろう衆議院議員のあとの府議会議員補欠選挙に出る自民党からの公認候補者を決めるにあたり、複数の候補者を集めて面接が行われたのも、3年前の今日、12月21日でした。
議員になるなんて思いもよらなかった私が、様々な運命的なものを感じ、3年前の朝、とっちゃんのお仏壇に手をあわせてから、その面接にでかけました。
その他にも語り尽くせないほど、本当に多くの運命的な事があり、今こうして府議会議員として仕事をさせていただいていますが、原点の大きな一つは『とっちゃん』だと思っています。
今日はとっちゃんのお宅にお参りに行き、偶然にも日野小学校の前校長先生とご一緒になり、とっちゃんの前で色々お話しできました。
また、各地でお餅つき等あり、大好きな子どもたちにも会えました。
写真の子どもたち…
1人は日頃お世話になっている方のお孫さんが「邦子さぁん」と声かけしてくれたMちゃん…
もう3人は3年前に非常勤講師として小学校に勤めていた時のクラスの子どもたちが
「渡辺先生〜!」と声をかけてくれました。
(※写真掲載は了解とっています)
改めていつも子どもたちからいっぱい元気をもらっているなぁと思います。
とっちゃんの尊い命を私たちの中で生かし続けていけるよう、これからも心を込めて、頑張ってまいります。
合掌☆