京都府議会議員 わたなべ邦子ブログ

京都府議会議員(伏見区選出)わたなべ邦子の活動報告日記です。

がんばっぺ福島 ③

昨夜、色々お話を聞かせてくださった松崎さんらに、早朝から被災された地域を3か所案内していただきました。
道路には自衛隊の皆さんの車列が並び、屋根にはブルーシート、倒壊した家屋の数々・・・
新聞やテレビで見ていた光景が、現実として目に飛び込んできました。
  

久之浜では被災された幼稚園等、海岸沿いに放置された乗用車も逆さまになったままの状態で、4月初めに同じ場所を訪れた深堀さんの話では、当時と全く変わっていないとのことでした。福島原発に近づくにしたがって、立ち入り禁止のところが多く、それぞれに大切な我が家だった建物が壊され、流され、広範囲にわたってまだまだ手がつけられず放置されたままの状態で、重機も極端に少なく、いつになったらこの街は甦るんだろうと本当に心がしめつけられる想いでした。
  

  

  

  

保育園の子どもたちは、当時ちょうどお昼寝の時間帯でしたが、近くの高校の先生らが、保育園に駆けつけて子どもたちの避難を手伝ってくださったそうです。
そのように皆さんが助け合って避難され、幼稚園・保育園の子どもたちの被害はなかったとのお話でした。
違う場所では、広範囲で津波と火事の被害に遭われた町に、海の神様の祠(ほこら)が、佇んでおられました。どんな想いでこの町を見守っておられたか・・・

  

  

  

  


ご自分の家に「壊してください」と張り紙をして離れなければならなかったお気持を考えると、また、中学のアルバムやプリクラが土砂にまみれて放置されているのを見つけ、本当に胸が痛みました。

他の場所と同じようにボランティア等の協力が入れないかとお聞きしましたが、いわき市農商工連携のプロデューサーとして農業・農村振興基本計画の策定委員も務めておられる松崎さんのお話では、風向きが変わると放射能の影響がでるかもわからないので、なかなかボランティアの方々に作業してもらう訳にはいかない、仕方ないと思うと・・・
たいへんな想いをされている上に、そんな話をお聞きして、余計に本当になんとかしないとと思いました。
  

  


通行止めの道路もあり、海岸線には横たわる船、港では漁師や消防団の皆さんらが集まっておられました。
たとえ船が出られても、水揚げの時に使用する水が心配で売れないから漁には出られないとのこと・・・

途中、田んぼに苗が植えられているのを嬉しく拝見しましたが、農業も漁業も、これまで苦労して続けてこられた皆さんの生活が大きく変わってしまいました。一日も早い復興を願っています。
たいへんな現状を目の当たりにして、末永く私たち日本人がみんなで力合わせていかなければならないと、心から思いました。

そんな想いの中、車を走らせていわき市保育所によせてもらうと、迎えてくれた子どもたちの元気いっぱい、キラキラした瞳に圧倒されました。
きっと、みんな色々と怖くて辛い経験もしたと思いますが、今まで見たことがないような瞳の輝きでした。やっぱり、子どもたちはすごいです!
  
元気にご挨拶をしてから、190名の園児の皆さん一人一人にぬいぐるみをプレゼント。京都の皆さんに協力してもらってメッセージカードもつけたもの。
子どもたちはとっても喜んでくれました。
  

  

  
冷たいグリーンティーのサービスや、年長さんとは教室で一緒に万華鏡づくりもしました。
頑張って作った万華鏡が完成すると、っとても嬉しそうに私たちにも見せてくれました。
京都のやすらぎ保育園の皆さんから預かった絵をお渡しし、ビデオメッセージも先生方と一緒に見ました。

  
今日は時間がなかったけれども、子どもたちにはまた改めてビデオを見せてくださるそうです。京都から絵本や絵もプレゼントとして持ってきており、また、京都でひまわりの種を蒔いて、その苗を福島に送って育ててもらおうという話も出て、今後、福島と京都の子どもたちがつながる掛け橋になれればいいなと思います。

たいへんな状況の中で、新装開店の花輪を見つけ、是非ここでお昼ご飯をと、みんなでラーメンをいただきました。

一人で頑張って切り盛りされていたお母さんが、震災当時、シャッターを下ろしており、津波の被害が少しマシだったのでなんとかまたお店を始められたとおっしゃっていました。
帰りにお世話になったいわき市の市役所を訪問しました。
   

  

1階は震災の影響で天井等が危険なため、立ち入り禁止になっていましたが、その上の階では業務が行われており、この秋、京都で開催される国民文化祭の法被を着て行き、お会いした方にちょっと宣伝させてもらいました。
3日間でしたが、福島の皆さんから多くのことを学び、これからも息長く自分たちにできることを継続して一緒に頑張っていきたいと強く思いました。
一緒に行った日本創生有志の会の皆さんんはじめ、お世話になった皆さま、本当にありがとうございました。