京都府議会議員 わたなべ邦子ブログ

京都府議会議員(伏見区選出)わたなべ邦子の活動報告日記です。

がんばっぺ福島 ②

福島二日目、多くの皆さんが暮らしておられる避難所によせてもらいました。
大震災後、たいへんな毎日を過ごしておられる皆さんに、宇治の新茶やお抹茶を召し上がっていただいたり、万華鏡を一緒に作ったりして、ほんの少しでもほっこりした時間を過ごしていただきたいと、それぞれ心を込めて準備してくださり、私も一緒に活動させてもらいました。
まずは、お茶・お菓子・お水・お茶碗やお道具・ガスボンベ、万華鏡のキット等、「これから準備させてもらうので、皆さん、いらしてくださいね。」とお声かけながら、搬入していると、多くの方々が温かい笑顔で応えてくださいました。
  

 

 

 

 
のぼり旗など、状況に合わせて考えようと話していたのですが、「どんどんやってください。」と言っていただき、国民文化祭京都の法被も着て雰囲気づくりしながら準備していると、「来たよ〜」と、多くの皆さんにお越しいただきました。
お茶碗もお好みのものを選んでいただき、お菓子も大好評!
「初めてお抹茶いただいたよ。」「冷たいペットボトルではなく、きゅうすで入れた温かいお茶は、久しぶり〜美味しい!」「ホッとした〜」など、色々お話をしながら、とても喜んでいただけたようです。
「ここまで歩いてこれないおじいちゃん、おばあちゃんにも飲ませてやりたいんだけど・・・」というお話を聞き、「出前」させてもらったり、こどもたちと一緒にお抹茶をたてたり・・・
「お茶碗、洗ってくるね!」と言ってくださったり、お越しいただいた皆さんはとても明るく、こちらが元気をいただいたような感じでした。
でも、広いフロアに段ボールで間仕切りされただけのわずかなスペースで毎日を過ごしておられる皆さんは、きっとたいへんな想いをされていると思います。
当日は、炊き出しボランティアの方々もいらしており、「遠いところ、よく来てくれたねぇ〜」「京都は、いいところだよね〜」など声をかけてもらいながら、私たちにまでおうどんやパンを持て来てくださり恐縮しましたが、本当に辛い想いをされた方々ならではの、本当に優しさなんだろうなと思いました。
 
万華鏡作りコーナーも多くの方々に楽しんでいただき、「うわ〜、綺麗!」「お〜!」という声が上がっていました。
 

 

中には、長い間いてくださり、後からお越しになった人たちに教えておられた方もいらっしゃっり、ビー玉万華鏡を使って「はてなボックス」という遊びも、大好評!
可愛い姉妹がボックス作りに協力してくれて、その箱の中にこっそり入れたものを、ガラス玉を付けた万華鏡で見て、何かをあてるというもので、その後も皆さんに楽しんでもらっているそうです。

避難所の中では「おだがいさまセンター」が中心となってボランティアの受け入れや、自主的な活動をされており、京都府職員の皆さんも、ずっと交代で常駐されており、多くの方々から、「京都の皆さんには、本当にお世話になって有難い!」というお声を伺いました。
 

京都ボランティアセンターの方々も、皆さんからとても親しまれ、頼りにされておられる様子で、本当に有難い事です。
 

段ボールや布でつくった駐在所も皆さんが工夫・苦労してつくられたもの。
女性用トイレの個室には、着替えや授乳など女性専用スペースの案内も張ってあり、色々きめ細かい配慮がなされていました。

 
「おだがいさまセンター」のスタッフとして活躍されており、ご自身も原発の関係で自宅に戻れず避難されている女性から、こんな話を伺いました。
「大震災後、小学6年生の息子の卒業式ができていない。卒業証書が郵送で送ってきただけ。みんな分かれて避難しているけれど、7月夏休みになったらみんなで卒業式ができるよう、連絡をとっています。3月で定年退職された校長にとって最後の卒業式だったのに、残念。校長先生にも来ていただいて、校長先生から直接卒業証書を渡していただきたい。」と・・・
また、実家が気仙沼だそうで、「大震災後、気仙沼に行ったけれど、津波と火事で多くのものが無くなってしまった。自分たちはこうして避難しているけれども、まだ、家族が無事で、家があるだけマシ。」だと・・・
ご自身もたいへんなのに、もっとたいへんな方々がいらっしゃるとおっしゃる方々が、なんと多かったことか・・・
学ばないといけないことがいっぱいありました。

夜は、常磐ハワイアンセンターで永年活躍されているフラダンサー、講師であり、映画「フラガール」のモデルになられた方や、地元で市場を営んでおられる方々、農商工連携や街づくりで活躍されている方、明日訪問する保育園を紹介していただいたいわき市の職員の方等との食事会。
「2日すると状況がかわる。目の前にあることを、必死に、どんどん即決して対処していくしかなかった。」
「でも、文化の力はすごい!」など、色々な話を伺いました。
また、その後もう一軒、小さな食堂に立ち寄り、合い席になった男性が「どこから来たの?」と声をかけてくださり、京都からだというと、「遠いところ、本当にありがとう!多くの皆さんにお世話になって本当に有難い!もしも、こんど京都で何かあったら、自分は飛んで行くから!」と力込めておっしゃいました。
そして、「大震災の時、消防団として活動していて、母親は亡くなってしまった・・・」と話しだされました。「本当に辛かったけれども、今は、部下も一生懸命頑張ってくれている。以前は、こちらから指示してもなかなか動かなかった若い人たちが、今は自分がいう前にどんどん仕事をしてくれている」と涙を流しながらお話してくださいました。
立派な紳士で、きっとこれまで人前で泣いたりされていないようなご様子でしたが、通りすがりの私たちだからこそ、胸の内を吐露されたのではないかと感じました。
私たちも心打たれ、「お母さんは、そんな貴方を誇りに思っておられると思います。」「部下の皆さんも、貴方の背中を見て、そんなふうに頑張っておられるのでは・・・」など、しばらく話していました。
一期一会・・・
二度と会うことはなくても、この日のことはずっと忘れず、心に刻んでおきます。